コロナ禍の閑散期の記憶も遠のき、多くの観光客で賑わいを見せる沖縄県石垣島。ハイシーズンにはレンタカー争奪戦が巻き起こり「どこに電話しても借りられない」など嘆きの声も聞こえてくる。そんな中、空港からほど近い白保地域で2023年にオープンしたのが「サイクラフトレンタカー」。もちろん、単なるレンタカーではない。社会・環境問題の解決にレンタル事業をからめ、新しいソーシャルビジネスの形を体現している。
今回はお話を伺ったのは代表の藤本健さん。スタートしたばかりのレンタル事業と、今後展開予定の新事業と体系構想、困難の多かったこれまでの道のりについて伺った。
観光窓口のレンタカー + アップサイクルという新発想
碧のグラデーションを描く海と白い砂浜で知られる石垣島、そしてその周辺の離島を含む八重山諸島。美しい自然に恵まれたエリアにもかかわらず、海辺の漂着ゴミの多さは驚くほど。2020年度の調査では、約3500立方㍍ものゴミが八重山の海岸に流れ着いたという。その回収はボランティアに頼るところが大きく、また、集めたゴミのほとんどは再利用されていない。処分にかかる費用も、大きくはない自治体に重くのしかかっている。
サイクラフトレンタカーが店を構えるのは、新石垣空港から車で約3分の国道沿いの好立地だ。建屋は2023年9月末に完成したばかり。ホームページはアップサイクルを全面に押し出し、レンタカー店としては異彩を放っている。事務所内には貸し出しを待つ天体望遠鏡が並び、海洋ゴミの瓶や浮子(うき)を再利用したおしゃれなランプやウッディなインテリアが目を引く。
「来島した方々にとって、最初の観光の窓口がレンタカーですよね。皆さん海に行くのを楽しみにしている人がほとんど。そこで『海に行ったらビーチでゴミを拾ってみてください』とゴミ袋を渡します。車の返却時に持ち帰ってもらったプラスチックゴミは機械にかけ、コースターやキーホルダーに加工して持ち帰ってもらいます。自分で拾った漂着ごみが島の思い出の品になる、ただの移動手段だったレンタカーが参加型のエコツアーになる仕組みです。『自分たちの観光に来たことで海を少しでもキレイにできた』と気持ちよく帰っていただけるし、お子さんの環境教育にもなりますよね」と藤本さん。
利益を生み出すソーシャルビジネスモデルの確立
アップサイクルは社会貢献的に意義はあるが、ビジネスとしては儲からないというのが、まだまだ一般的な認識だ。しかし、同社ではレンタカーを含むレンタル事業を足がかりに、新しいソーシャルビジネスモデルを構築していく構想だという。レンタル事業には、藤本さんが東京の会社員時代の人脈で販売促進に関わってきた「バイオトイレ」の展開も含まれる。人間の排せつ物を強力な微生物の働きによって分解・処理するこのトイレは、水を使わずに処理でき、メンテ要らずというのが特徴だ。
「八重山ではたくさんのマリン業社が営業していますが、トイレ付きの船は汚物をそのまま海に垂れ流していることも多いんです。中にはトイレットペーパーまで流してしまうショップも。激減している珊瑚にこれ以上悪影響を与えないよう、バイオトイレをマリン業社さんに広めたいんです。もちろん船上以外でも、たとえば農家さんの畑に設置すれば、分解されたものはそのまま肥料として使うこともできます。環境庁と竹富町役場、弊社の共同事業として、西表島のピナイサーラの滝にも設置しているんですよ」
設置4年目になるが、特に問題もなく稼働中だという。環境を汚染することのない、まさに世界自然遺産の島に相応しいトイレだ。
アナログ化&デジタル化の両立
アップサイクルの知識共有を目指して
2つめの事業は本格的なアップサイクルと、アップサイクル用機材・方法の開発だ。島間の物資輸送に使われているパレットのアップサイクル品販売を、当面の目標としている。パレットとは、荷物を載せるプラスチック製の台座のこと。フォークリフト作業に欠かせない物流資材だが、使われるうちに所有者が曖昧になり、世界自然遺産の西表島の港にも山積みになって放置されているのが現状だという。
「石垣島では、半分ボランティアでパレットを処理されている業者さんもいます。僕たちはこのパレット再成形して、いずれ生活にに役立つもの、例えば木材や型枠と同じように使える素材に展開しようと考えています。もちろん大きな機械を使えば今でもそれは可能ですが、もっと簡易的に、お金をかけずにアナログな方法で、離島で使えるものにして共有したい。知識や発明品を独占すると何も広まらないですから」
寄付金やボランティアに頼るのではなく、きちんと利益を出して事業体として回していけるものを考えたい、と熱く力説する藤本さん。新しいアイデアを思いつくとすぐにやらずにいられない性格だそうで、現在は新規材料としてCNF(セルロースナノファイバー:繊維を高度にナノ化したバイオマス素材)との複合材料開発にも同時進行で着手している。島で出たサトウキビの絞りカスと海洋ゴミプラスチックとで強化プラスチックを生み出し、これで日用品を作って販売する予定なのだという。
利益を島の子どもの教育に還元し、未来を創造
3つめは子どもの教育支援だ。レンタルとアップサイクルで得た利益で、太陽光・水力・風力・バイオガス等の実験装置を用いた科学実験や、天体観測教室を開講する予定だ。
一児の父である藤本さん、そして同社の立ち上げメンバーの一人であり児童教育に携わったことのある出堀良一さんも、島の子供の環境教育事業に熱意を抱いている。もうひとりの立ち上げメンバーで、かつて電力会社に勤めていおりエネルギー関連に詳しい人物もこの事業に意欲的だという。
「石垣の子は普段から自然には親しんでいるけれど、島には科学館や博物館といった施設がないし、離島は特に学校の教材設備も脆弱です。そんな島の子供達に将来の選択肢を増やしてあげたい、やりたいことの道作りの手伝いになればと思っています」
「島あるある」離島社会の洗礼、数々の挫折からの再生
藤本さんの本職は、意外なことに製塩とその販売だ。東京で理化学系の会社に勤めていた当時、仕事のプロジェクトの一環で石垣島を訪れ、製塩工業を営んでいた島のオジィと知り合ったことがきっかけだった。実はそこから大きな挫折を味わったという。
「大型台風で半壊した工場の再建の手伝いを頼まれて半分ボランティアで協力したところ、『塩工場を継いでくれないか?』と持ちかけられたんです。製塩は化学ですし、綺麗な海にも感動したし、これは面白いと思って準備に約1年、かなりの額の設備投資もしました。『ソルトラボ石垣島』の名で会社の登記もして、やっと翌月から販売開始という段階になって、突然オジィから『リゾート会社にこの土地を売るから出て行ってくれ』と宣告されたんです(笑)」今だから笑って話せるけれど、と続ける藤本さん。
「もちろん大喧嘩しましたが、書面を交わしていなかったので諦めるしかありませんでした。この時点で工場への投資で貯金はゼロ、公庫に事業の借入もありました。家賃も払えず、電気は止められ、息子の誕生日にはケーキの一つも買えず、暗闇の中で菓子パンにロウソクを立てて祝うというありさまで。当時は首をくくろうかと本気で考えました。嫁の『この経験をいつか本にでもすれば?』という言葉がなければ、いま生きていなかったと思います(笑)」と当時を振り返る。
沖縄の離島で起業を考える方々を怖気付かせたくはないが、投資やリノベーションをした後に突然の『出て行ってくれ』宣言は、こちらでしばし耳にする話。前出の出堀さんも、自由に使ってくれていいと言われて民家を改装したところ、修繕が終わったところで同様の経験をしたと笑う。しかし、藤本さんの災難はこれだけにとどまらず、西表島でも大きな挫折を味わった。
「僕の惨状を心配した友人たちが、ありがたいことに300万円集めてカンパしてくれたんです。せっかく製塩をやりかけたのだからと知人が西表島の土地を紹介してくれて、そこで新たに製塩工場を立ち上げることになりました。とはいえ、緑の中にほったて小屋が1つあるだけの場所で(笑)。電気もガスも水道もない状態でキャンプ生活をしながら半年かけてセルフビルドで工場を立ち上げました。それから約5年、『西表島の塩』として順調に売上も上がっていたのですが、なんとその土地が、農業振興用地だったことがに発覚したんです(笑)!」
苦労の末に建てた工場だが法は曲げられず、現在の場所から退去することに。一時は製塩行からの完全撤退も考えたが、現在は内地大手企業と役場の力も借り、竹富町内で移転の準備中だという。
二度の大きな災難に見舞われた藤本さん。しかし、海の恵みである製塩をしながら日々気になっていた海辺の漂着ごみ問題が、今の事業につながった。知人の紹介で知り合った出堀さんと「環境に良いことで面白いことはできないか?」と話が盛り上がり、アップサイクルを利益の出る事業に育てようと事業の設立を決心したのだ。ちなみに出堀さんは、10年間無帰国で世界115カ国を周り、自転車で五大陸一周を成し遂げたサイクリストでありクリエーター。帰国後に石垣島に移住し、ビーチに打ち上げられたゴミが気になり、アップサイクルをはじめたという。
「アフリカではゴミだらけの町も見てきましたし、先進国の援助で作っただけで維持できない施設や機器をたくさん見てきました。だから僕らが目指すのは世界のどこでも、現地の人がアナログで簡単に操作できて、かつ利益を生み出せるもの。そんな装置や方法を確立して、いずれはプラスチックゴミ問題に悩む海外の途上国への輸出も視野に入れたいですね」と出堀さん。
持ち前の発想力と行動力を発揮する藤本さんと、世界を見てきた出堀さんの視点がコラボレーションしたサイクラフトの事業。日本最南端の島々から「八重山スタイルのアップサイクル」が世界に広まる日はそう遠くないかもしれない。
取材・文/楢林見奈子