「これまでにないイノベーションを起こし、新しいビジネスモデルを構築する」というスタートアップの定義を聞くと、多くの人はIT技術を駆使したり、これまで無かったデバイスや価値観を生み出す、といった新事業を想像するだろう。では「コンクリートでスタートアップ」と聞いて何を思うだろうか。建築分野での単なる技術革新? 否。今回取材させていただいた株式会社HPC沖縄の革新的コンクリートは社会を変え、地球環境にまで多大な好影響をもたらすものだ。
お話を伺ったのは代表の阿波根(あはごん) 昌樹さん。建物の土台と骨組みの構造を設計する技術者であり、2014年に株式会社HPC沖縄を立ち上げた人物だ。
常識を超えた沖縄生まれの新時代コンクリート
コンクリートは従来「薄くできない」が常識だった。というのも、雨風によってもたらされる塩分と二酸化炭素がコンクリートをじわじわと中性に傾かせ、それが内部にある鉄筋(鋼材)に達すると錆びて膨らみ、コンクリートのひび割れや崩壊につながる。沖縄の裏路地に佇む古いコンクリート住宅には「爆裂」とよばれるこの現象が見てとれる。爆裂を防ぎ、寿命を延ばすために、鉄筋の周囲はコンクリートで厚くする必要があり、必然的に重い塊となってしまうのだ。
そんなコンクリートの常識を覆したのが、株式会社HPC沖縄の「ハイブリッド・プレストレスト・コンクリート(通称:HPC)」だ。鉄筋の代わりにカーボンワイヤーを使い、さらに強度を増すためにポリプロピレン短繊維をコンクリートに混ぜ込む。鉄筋を使わないから錆の心配はなく、製造の際に混ぜ水として海水を使用することも可能、そして何より強度を保ったまま最小38mmまで薄くでき、しなることさえ可能な画期的建材なのだ。
HPCを使った建物は沖縄県内の公共施設を中心に数が増えていき、現在では首都圏や関西の商業施設でも採用されている。「薄く・軽く・穴が空けられ、曲げることもでき、しかも強度がある」という特性を活かし、美しい意匠を凝らした建物が次々誕生。2023年1月に「ものづくり日本大賞」で経済産業大臣賞を受賞した影響もあり、現在は取材の申し込みも増えているという。
既存の技術を高付加価値で商品化!
高価格でもひっぱりだこのオンリーワン
阿波根さんにHPC誕生のきっかけを尋ねると、「HPCは、沖縄の仕事のチャンプルーから生まれたんです」と笑顔になった。今も籍を置く設計事務所の沖縄分室長であり、構造技術者としても活躍していた阿波根さん。必然的にさまざまな会社から相談を受けることが多く、ある時は大規模公共工事等に使われるプレストレストコンクリートを一般住宅でも気軽に使えないかと相談を受け、別の相談では、沖縄の街を彩る穴あきコンクリートブロック(通称:花ブロック)の代替となる、地震に強くて意匠性の高いコンクリート製品ができないか、と問われた。
「この2つの相談がチャンプルーされてね。コンクリートを美しく薄くしたいと思って、ネットサーフィンで世界中の建材を調べたんです。だけど、穴が開けられるような薄いものが見あたらない。じゃぁ世界にないなら、作れば特許がとれるじゃないか、と(笑)」
ほとんど劣化がなく、光を適度に遮りつつ意匠として空けた穴から明かりを取り込めるHPC。「塩害が激しくて日差しも強烈な沖縄だからこそ思いついたことだね、とよく言われるんですよ」と、沖縄出身の阿波根さんは嬉しそうに語る。ただ、鋼材の代わりにカーボンワイヤーを利用したり、ポリプロピレン繊維を練り込むといった技術は、決して新しいものではなかったのだという。
「コンクリート研究の分野では、カーボンワイヤーの利用や繊維の混ぜ込みなど、大学等で専門家に研究し尽くされていたんです。ただ、研究だけで終わっていて、社会実装されていなかった。なぜなら『ミネラルウォーターよりも安い』という触れ込みで売られているコンクリートの値段がめちゃくちゃ高くなってしまうから」
技術は知られていたが、価格の問題で社会実装には向かないと思われていたものをアレンジし、試行錯誤のうえパネル化。「薄く、軽く、強靭、しかも穴あけも可能」とすることで、高付加価値をつけたのだ。2015年には国内特許も取得し、現在、会社としては開発と知財、コンサル業務を主としている。自社工場は持たず、いくつかの工場とロイヤリティ契約を結び、原材料もメーカーから直接工場へ搬入しているいうファブレス企業だ。
スタートアップ・イノベーションのジレンマ
実績の壁、法律の壁
ここまで華々しい受賞や数々の建造物群のお話を伺い、では今までさほど苦労はなかったのかと阿波根さんに問うと「いやいや、開発も実装も困難の山でしたよ!今も!」と完全否定された。
「スタートアップは皆、前例がないから『イノベーションのジレンマ』にぶち当たるんですよ。国も民間も実績主義なので。沖縄はわりと新しいもの好きなので、やりやすい文化ではあるんですが、普通は実績がないと採用をしてくれないんです」
突破口の一つとなったのは、県内のHPC採用第一号となった那覇市旭橋のバスターミナル再開発事業だ。阿波根さんはVE(バリューエンジニアリング)のコンサルタントとしてプロジェクトに参加していたのだが、ギリギリの予算の中でさらに費用削減を求められた。そこで、HPCによってファサードを軽量化することで柱や梁、基礎のコストダウンを図る提案をし、採用に至ったのだという。この事業での実績をもとに、豊見城市庁舎や琉球銀行牧港支店をはじめとする数々の建設コンペを勝ち抜き、実績を重ねて今日に至る。
「海外も大変ですよ。たとえばインドの法律ではコンクリートの定義が『鉄筋を使ったもの』だから、HPCはコンクリートという枠に入れてもらえません。でも僕はこういうイノベーションのジレンマをチャンスだと思っていて、GAFAMも、AIも、新しいものは法律が後追いしてくる。そうでしょう? そうやって困難を潜り抜けてイノベーションのジレンマを解消していくのが冒険だし、楽しむしかないです」と阿波根さんはどこまでもエルギッシュだ。
未来を見据えた第二世代HPCは
脱炭素・ソリューションビジネス
インタビューの最初に「今日はね、これまでの取材で語り尽くしたことじゃなくて、第二世代のHPC、新しいことについてしゃべりたいんです」とおっしゃっていた阿波根さん。実は既にHPCは、建築の意匠性に特化した「第一世代」から、脱炭素・低炭素社会実現を目指す「第二世代」のフェーズに移行しているのだという。
「HPCはね、ソリューションビジネスなんです。高速炭素化技術で固定化したCO2を、材料の一部としてHPCの中に貯留して建物を作れば、都市を森化することができます。ヨーロッパではすでに、建設にかかった二酸化炭素排出量によっては税金がかかります。いずれ日本もそうなっていくでしょう。だからクライアントにとって材料選びが重要になり、それが我々のビジネスチャンスにもなっていく。逆に、世界のベクトルに合致していない企業、製品は、そのうち見向きもされなくなります」
ビジネスマンとしてのマインドもさることながら、国際貢献にも注力している阿波根さんは、JICA(独立行政法人国際協力機構)とともに途上国にも調査に訪れ、各国の課題を調査している。
「例えば、資源国の鉱山で出た産業廃棄物を、コンクリートの材料である砂や石の代わりに使うアップサイクルが可能です。廃棄にお金をかけていたゴミが、逆に資源になるわけです。HPCはローテクイノベーションなので、お金はないけど人は余ってる途上国に向いている技術ともいえます。雇用や環境といった社会課題を解決し、外貨獲得の手段になります」
さらに将来的には、コンクリート建材のIoT化、例えばクラウドファンディングで寄付を募り、ブロックチェーンの技術を使って建材の一つひとつの所有権を明確にし、CO2の固定化量といった情報を寄付者のデバイスで見える化する、といったことも考えているのだそう。
「HPCは百年以上も保つからリユースもできる。リユースを繰り返すと建材がどんどん安くなっていってお金のない人も利用できるようになる。そういう好循環型社会を作る仕組みづくりに、HPCが役に立てればいいと思っています」
幼い頃夢見た海洋都市をこの手で
コンクリートの世界でテッペンを!
未来を見据えたさまざまな展開を構想されている阿波根さん。今後の展開で一番特筆すべきこと、やりたいことは?と尋ねると、迷わず「海洋建築、ブルーカーボン!」と答えが返ってきた。実は阿波根さんは小学生の頃、沖縄海洋博覧会(1975年)に何度も通い詰め、ゴンドラに乗って海底都市を巡る「三菱未来館」に夢中になったのだそう。
「僕が大人になったらこんな世界なんだ!って思ったわけですよ。でも大人になった今、まだ海底都市は無い。社会にもまれるにしたがって夢は消えかかっていたんだけど(笑)、海水を使ったHPCというところまで展開できているので、これは人に頼るんじゃなくて、自分できっかけを作れるじゃないか、海底都市も夢じゃないじゃないかと」
例えば、2030年には地球上の8パーセントの電力を、AIの普及で増えゆくデータセンターが消費するといわれている。これを海底につくれば、わざわざCO2を排出してエネルギーを作らずとも、海水を利用して熱負荷を放出することができる。はたまたHPCで巨大なジャングルジムを建設すれば藻場の土台にもなり、海を豊かにしつつアドベンチャー·テーマパークなど、遊び心のある仕掛けも可能だ。もちろん、炭素を固定できるHPCだから、カーボンニュートラル、カーボンネガティブにも繋がるというわけだ。
「やはり沖縄は海に囲まれているので、海に関わる技術を世界に展開できると思うんです。ITやバイオのようなグローバルで競争の激しい分野は、世界中のプレーヤーがしのぎを削っているじゃないですか?今更そこでチャンピオンになるって、なかなか無理だよと(笑)。そうではなくて、マニアックだけど世界一を取れる分野で勝負したら勝てるよね、と。そこから発する枝葉で、ここはこのビジネスをやろう!という人たちが増えていけば面白いんじゃないかと思うし、それは沖縄から世界に発信できるよと、言いたいですね」
幼い頃、海洋博で未来の夢に目を輝かせていた少年。大人になった彼が創り上げた夢のコンクリートHPCは、来たる2025年の大阪関西万博で河森正治氏プロデュースのパビリオンに採用されている。今度は世界と私たちに、新たな未来の夢を見せてくれることだろう。
取材・文/楢林見奈子